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2014年08月13日

田中氏逝去

 平成26年(2014年)7月23日

 

尾長41田中.jpg

7月23日に田中氏が突然亡くなりました。ちょうどひと月前の6月23日に64才になったばかりでした。

20年来の釣り友達であり、仕事上でも深い付き合いがありました。元々は、今から20年前に当時父親

とよく釣りに行っていた富山県入善町吉原の釣りエサ屋に格安で土地を貸してもらいバンガローを建て

た頃にさかのぼります。色々な人達と釣りに行き楽しんでいましたが、だんだんと気心の知れた仲間ば

かりで行くようになってきました。そのメンバーが中心となり10名ほどの釣り会を作り、そのメンバーの

1人としてして田中さんにも参加してもらってからの付き合いとなります。富山県の方言で新鮮という意味

をきときとと言います。それでクラブ名も「きときと会」とつけました。私は洋紙卸、田中さんは和紙卸の仕

事柄、だんだんと仕事上の付き合いもできるようになりました。日本海の冬は荒れます。海岸から30mか

ら50m沖に消波ブロック(テトラ)が積んであります。離岸堤と呼んで、波のきついところは、二段に置かれ

てあります。そこにボートで渡り、釣りをします。グレの30pクラスや黒鯛、ガシラ、メバルなど魚種も豊富で、

時にはハマチが回遊してきたり、アオリイカを釣ったり、ホタルイカの群れで海岸一面が埋まったりと、色々

な事がありました。富山県入善町というと黒部市の北隣となり新潟県との県境です。京都から400`はあり

ます。当然日帰りは無理であり、土曜・日曜の2日間の釣りとなります。田中さんは、月・水・金と透析をされ

ていたので、金曜の深夜や、土曜の朝一番出発で、日曜夜帰宅のコースとなります。今ではその頃のメンバー

も50代60代となっていますが、15年20年前はまだみなさん若く、休みを目一杯使って遊んでました。土曜

の夜は温泉に行ったり、バンガローに帰ってから海岸で夜釣りしようと出かけたり、宴会したりして大いに釣行

を楽しんでおりました。そのうちに大きいグレが釣りたくなり、グレ釣りのメッカ紀東の尾鷲の磯に通うようにな

りました。いつしか、富山へも足が遠のき、尾鷲の磯釣り一辺倒になりました。気がつくと、田中さんと二人で

通うことがほとんどになっていました。釣りが好きで好きでたまらない性分で、磯にあがって私が休憩していても、

ほとんど休憩なしで立ちっぱなしでウキを見続けていました。恐らくこの20年の間、奥さんの次に私が一緒にいた

時間が多かったと思います。釣り場は、富山も尾鷲も遠方です。長い車中の時間にさまざまな話をします。

もちろん釣りの話が多いですが、近年は、商売の話やまた目茶苦茶に可愛がっていた二人の孫の話をしている時

のうれしそうな顔が忘れられません。人と人との付き合いは、本当に難しいものです。夫婦でもある程度の距離は

必要であると思います。よく親しき仲にも礼儀ありと言われますが、親しくなればなるほど間合いのある付き合い方

をしてくれていた様に思います。私も随分と商売上の悩みも聞いてもらい、友達でもあり良き兄貴のような存在でした。

山根さんより引き継いでわずか一年でこのような事になり、茫然としている中、独立する時に応援してもらいましたと

山口和紙さんが、田中さんの得意先を守っていきたいと手を挙げていただきました。それでは、私も微力ながら協力

しますとなり、なんとか和紙卸「田なか」を守っていこうと現在動いております。日々バタバタとしている中、「酒井君、

今週行こうや」といつものように軽く右手を挙げて事務所に入ってくるような気がしてしかたありません。本当に最高の

釣りパートナーでした。また私が田中さんの所に逝った時には、思う存分一緒に釣りに行きたいと思います。 

 合掌。